だらだら
Jib Kidder - Blue
Serge Gainsbourg - En Melody
Diz Gibran - Impossible
透明なボデー
去る金曜日の夕方、GWの谷間、最終日の最終上映に滑り込んで園子温監督の『冷たい熱帯魚』を観てきた。この映画の元となったとされる殺人事件に関しての知識はほとんどない。
ドンドンドンとテンポを刻む冒頭の音楽と映像でもうやられてしまったようなものなのだけれども。
でんでん演じる村田の存在感が凄まじかった。初登場のカットから滲み出る嫌らしさと強引さ。途中までは「あーこんなひといそうだわー」と思いつつ観ていたが、栄養ドリンクが出てきたあたりからの豹変っぷりはものすごかった。ここで映画の流れがグイと加速した。
「人は皆いつか死ぬ」「店で居合わせた相手の死に涙は流さない」
まさに正論、仰るとおりなのだけれどもでもそれとこれとははちょっと違うよね、なんて言うことは決して許されないのである。村田に対しては。その強引さでもってぐいぐいと引っ張り続ける、終盤の社本の反撃まで。
それはまさにエロとグロの応酬で最初は目をそらしたくなるほどだったのだけれどもだんだんと笑えてくるので不思議だ。歌ったりニヤニヤしたり会話したりしてとても楽しそうなんだもの!それは私以外の15人ほどの観客も同様だったのか、時間が進むごとに笑い声の度合いと人数が増えてくるのである(もちろん場内大爆笑!というわけにはいかないが)。今思うとお前ら(登場人物も観客も私も)頭おかしいんじゃないの、とでも言いたくもなるよな。
そもそもこの映画にはまともな人が誰も出てこない。村田も社本一家も愛子も筒井も熱帯魚店の従業員も。皆歪んでる。その歪みは極端なものではあるけれど、それじゃあお前は歪んでないのか真っ当な人間なのかと問われればそんなことはとてもじゃないが言えないわけで。そりゃ人生は痛いです。社本が覚醒しちゃったように、そうならないとはいえないよなぁ。
理解できないものが理解できないまま進みそのまま受け入れてしまう。ああでも社本家の居心地の悪さの既視感と来たらなくて、わかるよ私は、なんて馬鹿みたいなことも言いたくなるしとても痛い。
観客を弄ぶかのように流れるSkater Waltzに対しても、もう笑うしかなかったのである。
凄いもの観たぜ!という気分とともに何故だか爽快感すら覚え、映画館をあとにした。殴り合い、取っ組み合いがあったからであろうか。とてもフィジカルな映画だと感じた。ラストの決して派手ではない社本の血の出方とかね、すばらしかったよ。
そういえば、同監督の『愛のむきだし』も丁度2年前のゴールデンウィークに同じ映画館でみたのだった。この2作品を比べると好きなのはやはり4時間弱を圧倒的体感スピードで駆け抜けた『愛のー』になるが、『愛のー』が後半失速したのに対し最大瞬間風速では劣るものの144分という決して短くはない上映時間の終わりまで私の胸ぐらをつかんで放さないような力があった『冷たいー』の方が完成度は高いのではないかと思う。いずれにしてももう一度観て確かめたい、という気持ちがあるのはいうまでもない。
Girl, Interrupted
録っておいた『17歳のカルテ』をみる。
17歳関係ないじゃん!でも思い当たる事が多々あって観ていてつらかった。その年齢で観ていたらかなりひきずられてしまっただろうな。この不安定なヒリヒリは女子(だった人)には共通の感覚なんではないだろうか。20歳過ぎても観賞後Skeeter DavisのThe End of the Worldが頭の中ぐるぐるする程度にはひきずられました。
ウィノナ・ライダー好きだ。眼差しがすごく印象的だった。賞もらったアンジェリーナ・ジョリーも良かったけどウィノナの繊細な演技もとても良かった。
正しさの不確実さ
ちょうど一ヶ月になるわけですがだからどうという気がない訳でもなく。
風邪を引いたりしてますが元気です。映画もみてますし音楽も聴いています。本はあまり読めてません。日常は大切です。いろいろ考えているつもりですが答はでません。
こういった現状では多くの人がナイーヴになるのも理解できなくはないし、むしろならざるをえないという状態なのかもしれないけれどもtwitter等で拡散されてくる思想・言論の多くには違和感を覚えてしまった。デマとか陰謀論とかね。
好きな有名人が疑いもなく(少なくとも私はそう感じた)デマを拡散して、その後も”危険な事には変わりない”とかなんだか言って訂正せずにをはぐらかしているのを目の当たりにしたくはなかったなぁ、と思ってしまう。でもまあそれを支持する人もある程度いるわけで。
私は今までの経験をふまえても”自分が正しい(正しかった)”とは到底思えないしそんな立派な頭もないし、ひょっとしたらそういった人たちの方が正しいのでは?と思ってしまう瞬間がない訳ではない。今後色々な価値観が変わっていってしまうのだろうかとも思う。だからといって有名/無名、好き/嫌いを問わずに人の発言を無批判に信じたりしたくはないし、自分が抱いた違和感を大事にしていきたいとは思う。twitterとかみると少数派に属しているようにも思えてくるけれどそうとは限らないのだろうな。私の視野はとても狭いし、いろんな人がいるのでしょうね。私の拙い想像力では足りないでしょうねきっと。もっといろいろ知らなくちゃいけないのだろう。
先日久しぶりに映画館に行って『英国王のスピーチ』を観てきました。ジョージ6世とライオネルのかけあいが面白かった。王になる事の複雑さがところどころに表現されていて(即位直後の娘たちとのシーンとか)、よくつくられた人間ドラマ&王室映画だと思いました。アカデミー賞も納得。今こんな状態だからかわからんけれどもスピーチのシーンは凄く感動した。
ベートーヴェンの交響曲第七番第二楽章っていろんな映画に既に使われてるけれど、このシーンでも印象的に使われてた。ド名曲ですねほんと。
裏返った蟹
ゴッホはとても情熱的な人だったんだなぁと図書館で借りた芸術新潮2010年10月号を読んで思いました。
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自分の事棚に上げてなんでこんなに人気あるんだろうとか、エキセントリックなエピソードでよく知られているからかな、とか思ったり。ゴッホとテオを題材とした映画も複数公開されているし。
”没後120年【愛蔵版特集】今こそ読みたい ゴッホの手紙”という特集でテオ宛のものを主に手紙がいくつか載せられていたのだけどとても情熱的で感動した。泣きそうになった。ゴッホは絵だけでなく言葉にも力を持っていたのだと感じました。
ゴッホの概歴に目を通したら土地も職も転々としていてなんだか親しみが持てた。続かなかった理由が「失恋のため」「ギリシャ語を学ぶのに挫折」等だったのでなおさら。そしてテオの兄思い具合はすごいな!
ゴッホの愛される理由が何となくわかった気がします。ゴッホの日本像はまるで桃源郷のようだった。そういったものも日本で人気の理由の一つかもしれない。
ゴッホの6巻組の書簡全集(英・仏・オランダ語訳)がWeb版でも無料で読めるらしいのだけれど、英語というハードルが高くてなかなか読む勇気がでない。Vincent van Gogh The Letters
雑誌付属のCDもよかった。”音楽と絵画、ふたつの才能に愛された芸術家 チュルリョーニスを知っていますか?”という特集でリトアニアの芸術家チュルリョーニス作曲のものが8曲収録。