透明なボデー

去る金曜日の夕方、GWの谷間、最終日の最終上映に滑り込んで園子温監督の『冷たい熱帯魚』を観てきた。この映画の元となったとされる殺人事件に関しての知識はほとんどない。

ドンドンドンとテンポを刻む冒頭の音楽と映像でもうやられてしまったようなものなのだけれども。

でんでん演じる村田の存在感が凄まじかった。初登場のカットから滲み出る嫌らしさと強引さ。途中までは「あーこんなひといそうだわー」と思いつつ観ていたが、栄養ドリンクが出てきたあたりからの豹変っぷりはものすごかった。ここで映画の流れがグイと加速した。
「人は皆いつか死ぬ」「店で居合わせた相手の死に涙は流さない」
まさに正論、仰るとおりなのだけれどもでもそれとこれとははちょっと違うよね、なんて言うことは決して許されないのである。村田に対しては。その強引さでもってぐいぐいと引っ張り続ける、終盤の社本の反撃まで。

それはまさにエロとグロの応酬で最初は目をそらしたくなるほどだったのだけれどもだんだんと笑えてくるので不思議だ。歌ったりニヤニヤしたり会話したりしてとても楽しそうなんだもの!それは私以外の15人ほどの観客も同様だったのか、時間が進むごとに笑い声の度合いと人数が増えてくるのである(もちろん場内大爆笑!というわけにはいかないが)。今思うとお前ら(登場人物も観客も私も)頭おかしいんじゃないの、とでも言いたくもなるよな。

そもそもこの映画にはまともな人が誰も出てこない。村田も社本一家も愛子も筒井も熱帯魚店の従業員も。皆歪んでる。その歪みは極端なものではあるけれど、それじゃあお前は歪んでないのか真っ当な人間なのかと問われればそんなことはとてもじゃないが言えないわけで。そりゃ人生は痛いです。社本が覚醒しちゃったように、そうならないとはいえないよなぁ。
理解できないものが理解できないまま進みそのまま受け入れてしまう。ああでも社本家の居心地の悪さの既視感と来たらなくて、わかるよ私は、なんて馬鹿みたいなことも言いたくなるしとても痛い。

観客を弄ぶかのように流れるSkater Waltzに対しても、もう笑うしかなかったのである。

凄いもの観たぜ!という気分とともに何故だか爽快感すら覚え、映画館をあとにした。殴り合い、取っ組み合いがあったからであろうか。とてもフィジカルな映画だと感じた。ラストの決して派手ではない社本の血の出方とかね、すばらしかったよ。

そういえば、同監督の『愛のむきだし』も丁度2年前のゴールデンウィークに同じ映画館でみたのだった。この2作品を比べると好きなのはやはり4時間弱を圧倒的体感スピードで駆け抜けた『愛のー』になるが、『愛のー』が後半失速したのに対し最大瞬間風速では劣るものの144分という決して短くはない上映時間の終わりまで私の胸ぐらをつかんで放さないような力があった『冷たいー』の方が完成度は高いのではないかと思う。いずれにしてももう一度観て確かめたい、という気持ちがあるのはいうまでもない。